最近では「空気を読む」という言葉も一般的になっておりますが、こんな言葉は20年前にはなかった言葉です。
でも、雰囲気が悪いとか違う言葉では表現されてきており、普通に社会生活や対人関係を維持していく上では、避けては通れないものでしたし、今後も避けて通れないものなのでしょう。
ただ、あまりにもその空気を意識しすぎて、自分にストレスを掛けた挙句、具合が悪くなってしまうのは如何なものかと思います。
「空気を読む」ということが苦手で、何とかその場の空気に合わせようと頑張って生きていくことで、人に嫌われないようにするとか円滑な人間関係を築いていくというのは、それはそれで大切なことです。
ですけど、結果、空気の奴隷みたいな感じで、自分の言いたいことも言えなくなるようでは、何のためにそれほどの努力をしているのかわかんないですもんね。
きっと、空気を読んでいい場合ってのは、自分も相手もお互いに尊重したいような対等の関係が期待できるときだけであって、それ以外の時はあまり意識しないほうが良いのかもしれません。
だって、自分が相手より有利な状況下では、空気を読むというよりも空気をコントロールできる立場にあるわけですし、場合によっては、空気を入れ替えるということも出来てしまうわけですから。
なんか、一事が万事、空気読めと言われていると、自分自身が消耗しまくって廃人になってしまいそうで怖くなりますもんね。
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